間があいてしまいましたが、新潟県立歴史博物館のつづきです。
7~8世紀、中国や朝鮮からの文化が入ってきました。この時代に文字が生まれ、役所と役所を文字の情報が行き来し、文字の発達によって法律もつくられてきました。
このコーナーの意味するところはそういうことで、人形とバックの派手な装飾は、イメージということか…。
展示の仕方に工夫あり。クイズの問題が書かれているボードをめくると、答えとそれにまつわる物品などが展示されているというものです。
先ほどの展示のつづき。この模様は何を表している?という質問です。これはハスの花を象った瓦です。仏を連想される花をデザインに取り込み、全国の国分寺の瓦で使用されたとか。軒丸瓦というそうです。
こちらは、中世のコーナーの入り口です。
どどんと大きいこの地図は、「正保越後国絵図」というそうです。高田藩が幕府に提出した地図です。街道や河川がこと細かく書き込まれていて、当時として画期的な地図だったそうです。
アップにしてみると村々に小判のマークがあります。これは村の石高、つまりコメの生産量です。ということは藩や幕府が村々を管理するためにつくられたものであることがわかります。
地図の見方のマニュアルがあります。当時は「新潟」というだけあって、川と潟ばっかりです。
室町時代になると国人領主が国の政治をするようになります。鎌倉時代の地頭のなごりです。この料理は、領主と農民が盆や正月の行事を一緒に行い、同じ場で食事するときに振る舞われた、当時では超贅沢な料理だったのです。
え~っと、これは…。そうそう、「北国街道」ってどこまで続いているんだろう?という謎がとけたので撮影しました。
以前、寺泊の人から、「この辺りは旧北国街道で…」なんて聞いたことがありますが、北国街道は出雲崎から長野県の追分までです。
あ!ミニチュア模型!それだけでワクワク♪( ̄▽+ ̄*)
これは佐渡金山か金や銀をお馬に乗せて運ぶ風景です。幕府の財政を支えた佐渡の「御金荷」は、北国街道を経由して江戸まで運ばれました。その行程11日と言われています。道中で襲われたりしなかったのでしょうか。
つづく…。