生知にあり

2020年、はじまりにあたって

新年明けまして、おめでとう

歳を取るごとに、正月への特別な気持ちが薄れてきています。
ただし、誰かとの、何かとの、つながりがある以上は、正月が特別な日になることは確かです。
正月が特別な日になること、それはつまり、幸せだということ。

僕の場合は、妻と年末年始の支度をすることが、幸せな営みそのものです。
二人で協力して、特別な時間にしようとする営みが「正月」なのです。

今回の年末の大掃除は、珍しく少し余裕がありました。
3LDKのマンションを二人で、だいたい1日半くらいかけて掃除。ほとんど使っていない部屋は手抜きしたけれど、満足できるレベルの大掃除ができたと思います。富山生活10年のうちで初の快挙かも。

お飾りの準備、食材の買い込み、おせちの調達、などは30日のうちにだいたい完了していました。
そして、テレビの正月番組をチェックして、録画設定している自分に驚きました!
普段は、特定のお気に入りの番組しか録画しないけれど、年末年始は面白い特番があります。特にNHKとか、BSあたりが多く、またギャラクシー賞を受賞した番組も再放送していることも多々あります。

こんなとき、ワーカホリックの僕たち夫婦は、余裕があることに不安を感じてしまうのです。だからワーカホリックなんでしょうね(笑)

自分だけのイベント

そして、特別なことと言えば、この間に、ささやかな自分プロジェクトを進めていました。
それは、アメブロから新しいメディアに記事データを移行すること。このWordPressのブログが、僕の新しいメディアとなります。移行はすべてコピペの手作業。それなりに時間がかかるため、年末年始だけでは到底終わらない!今後、長い時間をかけて、ボチボチと作業するつもりです。

ちなみに、移行しようとした理由は、自分のものとしてデータを持っておきたかったからです。WordPressだと、別のWordPressへのデータ移行も出来るし、デザインも自由に変えることができます。広告の設定も自由だ!
あとは、書きたいことの志向が変わってきて、それにあったデザインのメディアを必要としたからです。

2019年をふりかえる

昨年は、ブログを怠けてしまいました。途中、数ヶ月も書かなかったりして。
書く、物理的な時間はあったものの、その時間があれば別のことをしたいという思いが強く、ブログを書く優先順位が随分と低くなってしまいました。

そこで、2019年に書けなかったことを、まとめて綴っておきます。

<5月>
まず、事務所にすぐ裏手、内川沿いに宿をつくったこと。

僕はホテルや旅館に泊まるという体験が大好きです。その中でも、ラグジュアリーとか、コンセプトが面白いとか、そういう志向の宿を探して泊まり、その町を散策して、人や場所、モノとの出会いを楽しみます。ほとんどの場合は、妻と一緒です。だからこそ、自分とは異なる見方で体験したことを共有する楽しみがあります。

宿は、遠くの人と、町との接点を生み出す大事な場所です。カフェは割と身近な人たちがお客様ですが、宿は県外や海外の人たちがお客様になります。

北陸の漁師町、新湊内川で、自分たちと同じ志向を持った方々が泊まって楽しめる宿をつくりたいと思い、空き家になっていた築100年の古民家2棟をリノベーションしました。トータルで約3,200万円の投資です。収益トントンになれば良いかなというくらいのビジネスですが、一人でも多くの方に、この地の魅力を知ってもらうことに価値を見出しています。

ゲストの方には、建物の中から見る水辺の風景を楽しんでほしいし、まちをブラブラしてココにしかない出会いを体験してほしいと思います。出かけなくても水辺の宿でゆっくり休んでもらうのも良いですね。

<10月>
昨年は、曳山につながることができました。しかし、曳山巡航中に怪我人が出てしまい、途中で祭りは中止となりました。平穏無事であることが普通でないのだと、あらためて教えてもらいました。

曳山は毎年何かの勉強をさせてもらっていますが、昨年もとても感慨深い出来事がありました。事務所のある奈呉町の曳山は、約110年ぶりに木製車輪の修理を終えました。そのため、本番までにしっかりとメンテナンスとテストが繰り返されました。
最初は「車輪に遊びがない」という原因により、なかなか曳山が思うように曲がらなかった。車輪を外しては調整をして、また付け直し、そして試してみる、この繰り返しでした。

アスファルトが削り取られるほどの力が車輪にかかっていても、なかなか曲がらない。そのうち、車輪のせいではなく、曳き手の問題ではないかと言う人もいました。誘導の笛のタイミングが遅いと言う人もいました。結局、不安を抱えたまま、10月1日の曳山祭りを迎えました。そして、はじめて参加する若者も数人いて、やっぱり早朝から調子が出ない。試し曳きのときのように、思うように曲がりませんでした。皆が声を掛け合い、各人工夫を凝らして、祈るように1つ1つの曲がり角を迎えました。

その巡航の最中、我が町の曳き手に、面白いことが起こりました。曳き手のなかに、はじめて参加する若者4人衆に対して、熱血指導をしているコーチ?がいました。その指導ぶりたるや、今の時代にこそ必要な熱量を持ったやり方じゃないかと感心するほどのものです。最初はちょっと面倒なおじさんがいるなぁー、という印象だった若者たちも、その迫力と熱心ぶり、上手な褒め方によってその気になってきて、ぐんぐんと上達しました。そして、コツをつかんだ若者たちの貢献によって、曳山が思うように曲がりはじめました!バシッと決まったときは、歓声があがるほど。

僕はこのやりとりを一部始終見ていて、人に教える、伝えることにどこか諦めている自分がいないかと、深く反省をしたのでした。まさか、曳山の巡航で、こんな思いになるとは想像もしませんでした。祭りは、普段異なることをしている人が集い、力を合わせるからこそ、予測不可能な出来事に出会うのです。あまりにも思い出深い出来事でした。

<10月>
父が富山へ移住、そして内川沿いに、お好み焼き屋をオープンしました。
僕自身、まさか、こういうことになるとは思っていませんでした。逆に、すっかりこのことを受け入れて、この地で力強く商売している父のほうが柔軟性があるということなのでしょうか?

僕の場合、妻の実家が富山にあって、そこに妻の両親が暮らしていたことが、移住の1つの動機でした。実の両親に、ろくな親孝行もできていない自分は、せめて妻の両親に親孝行したいと思っていましたが、この数年のうちに義父も義母も亡くなってしまい、その目的を十分果たすことはできませんでした。

70歳を迎えて、広島で一人暮らしをしている父を心配に思い、いずれは富山に呼んで、小さいながらもコツコツ地道に商売ができる店をつくってあげようと思っていたところ、その提案を即座に受け入れ、すぐに広島の店をたたみ、富山に移住する気満々の父を、これ以上待たせるわけにはいきませんでした。

父の店をつくる候補地を探してみても、ちょうど良い物件は見つからず。オープンするなら内川でお願いしたいと思っていましたが、お金をかけずにオープンできそうな空き家もありませんでした。(お金をかければいくらでも・・・)

そこで考え抜いて出したアイデアが、我が家の一部を店舗として使ってもらうことでした。店舗をつくるだけで融資をしてもらうのは返済が重くなるし、工事の効率が悪い。しかし、我が家として古民家をリノベーションする全体枠のなかに、店舗部分も組み入れれば一石二鳥となります。

父が一人で回せるくらいの広さで、無理しなくても食っていけるだけの売り上げがつくれる店。そういうイメージで設計しました。予定よりも随分遅れて、10月3日にオープンを迎えました。予想よりも反響があって、オープン以来、毎日のように沢山のお客さんに来て頂いています。

元気に楽しそうに働いている姿を身近に見ることができて、息子としては、ちゃんと親孝行が出来たかなと一種の満足感に浸りました。しかし、オープンして間も無く、父が体調を壊して入院したときは本当にビックリしました。大事に至らなくて本当に、本当に良かった。これから、死ぬまで元気に、この地で商売を続きて欲しいです。80代になっても現役の先輩方は沢山おります。なので、とにかく元気で、ボチボチと身の丈に合った商売をしてください。

<12月>
内川に移住した友人、スティーブンさんのお店「ブリッジバー」がオープンしてから、昨年の12月で一周年を迎えました。おめでとうの気持ちを、リノベプロジェクトを一緒にやった仲間で大々的なフラワーアレンジメントをプレゼントしました。

スティーブンさんは、お店がオープンしてから間も無く、癌に侵されていることがわかりました。その告白を本人から聞いたとき、胸が酷く痛みました。これからというときに、これは何かの間違いではないかと、現実を受け入れることができませんでした。ご本人であれば尚更のことです。

僕がそのとき、正直に思ったことを告白します。
それは、「もし、東京に居たままでも、癌になっていただろうか?」です。
外国人が地方に移住して、大きな借金をして、新しい事業を立ち上げることは想像以上の苦労なのです。僕はその経過を傍らで見てきました。それらの苦労が引き金になったとしたら、自分にも責任があるように思えたのです。その因果関係は、誰にもわかりません。スティーブンさんが、内川に移住したことを後悔していないことを祈るばかりです。

すべての物事は、絶対値として存在しないというのが僕の持論です。損か得か、幸か不幸かは、いつ、どこで、誰が考えるかによって、まったく異なる捉え方ができます。贅沢はたまにするから良いんです。才能がないから努力できるんです。時間がないから密度を高めようとするんです。人は有限だからこそ精一杯生きようとする生き物なんです。

スティーブンさんには、「どうせ病気になるだったら、東京でなくて良かった、大好きな地で良かった、好きな人たちが周りに居て良かった」と思ってもらいたいし、この土地の力で奇跡を起こしてもらいたいです。いや、きっと起こる気がするんです。

<12月・年の瀬>
父の店を準備することと並行して、我が家の工事も進んでいます。
僕たち夫婦は、現在、賃貸のマンション暮らしです。ここはここで景色も良いし、コンパクトで使い勝手も良いし、気に入っているんですが、やはり内川の町家に住みたい・・・。どのタイミングでそれを決行するか、ご縁(空き家)と資金計画と、色々模索しておりました。それが父の店をつくることに後押しされて、物件の確保と、住宅ローンの申請と、急展開で事を進めました。

父の店の事がなければ、ここまで気持ちは固まりませんでした。仕事で古民家のリノベのことをやっていながら、自分はマンションに住んでいるこの感じが、自分で許せないなーと思う一方、紺屋の白袴のごとく、他人様のために一生懸命働いている証拠だという自負もあったりと、複雑な思いでおりました。

この空き家は、かれこれ4年前の出会いがご縁で、持ち主さんとの話し合いを重ねて、やっと手に入れた物件です。現状渡しを条件に、ほぼほぼ手数料程度の額で売買をしました。わかってはいましたが、状態は決して良いものではなく、表から川側までのすべての屋根を丸ごと入れ替え、腐った柱や梁も入れ替え、設備はすべて一からやり直し、住宅との隣接部分の補修はこちらで負担、基礎や床下の環境整備も含めて総見直しです。そして、父の店舗部分の改修工事は予想以上の出費でした。

多分このままいけば、壁の仕上げ、屋内の建具は、DIYか別途工事です。照明器具や空調の一部も別途工事になるでしょう。つまり、住宅ローンの予算で完成するのは「なんとか住める状態?」というのがゴールです。

まあ、そういった工夫をするのも楽しみのうちです。それよりも、地面のすぐそば、内川のすぐそば、築100年以上の町家、そして事務所のすぐ近く、そういった環境で暮らせることが何よりの楽しみです。来年の正月は、新しい家で迎えることになるでしょう。

さあ、2020年のスタートです。張り切っていきましょう!!
今日も、世界よ、ありがとう!!

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